スタッフ紹介
施術者プロフィール
田中 晶 (たなか あきら)
誕生日:1967年12月27日(A型)
出身地:愛媛県新居浜市
大川カイロプラクティック専門学院卒業
日本カイロプラクティック医学協会認定カイロプラクター
鎌倉手技療法研究所認定総合手技療法師
田中カイロプラクティックセンター青井整体院代表こと、あなたの体のコンディショナー、田中晶です。スタッフ紹介ページにようこそ!
良いコンディション作りには適切なメンテナンスが不可欠です。
悪い部分には多少の痛みがありますが、おかげさまで小さなお子さまからご年配の方まで幅広い年齢層の方々がいらっしゃっております。お体のお悩みは是非一度ご相談下さい。
ニックネーム | 田中が多かったので名前から「アキラ」。 小学生の頃は太っていたので、当時のプロレスラー「アブドラーザ・ブッチャー」から「ブッチ」と呼ばれてました。 |
---|---|
趣味 | 絵を描く。漫画を読むのも好きですね。 |
特技 | 柔道、空手 |
休日の過ごし方 | 妻や友人と過ごすことが多いです。 飲み会は好きですね。 |
好きな食べ物 | 肉が好きですが、最近は魚の味も覚えてきました。 |
好きな動物 | 身近な動物なら犬と猫。 たまに帰り道に猫と遊んでます。 |
好きなスポーツ | 格闘技。 K-1のTV放送が最近ないのは淋しい・・・ |
好きなTV番組 | ゴロウ・デラックス |
好きな街 | 新宿 |
よく聞く音楽 | コミックソング、ジャズ |
宝物 | 家族と友人とみなさんの笑顔 |
今ハマっているもの | サーキュレーターの分解、掃除。 リンスを薄めて水拭きすると、あまりホコリがつかないんですよ。 |
興味のあるもの | 古武術 |
目標 | もっと多くの方々のお役に立てるようになること |
青井整体院を開業するまでの道のり
1967年12月27日愛媛県、新居浜市に生まれました。
営業職の父と、社内恋愛した母の間に産まれ、3歳上の姉と2人姉弟です。
2700グラムと未熟児ではないですが小さく産まれ、食欲満点で大きく育ちました。
翌年、宮崎県に移ったのが初めての引っ越しです。
営業職の父は転勤が多く、産まれて翌年には南国宮崎に引越しとなりました。南国らしくのんびりとした土地で、たくさんの自然に囲まれていました。
それから5年後、宮崎に比べたら都会の埼玉県草加市に引越ししてきました。父の会社の家族寮で、今までと違って団地住まいです。あちこち冒険に行っては迷子になって、それでも懲りずに遊び歩いていました。
そしてその3年後、埼玉県からさらに都会の江東区に来ました。
このように小さい頃私は引っ越しを繰り返していました。
育英工業高等専門学校(現サレジオ高専)入学しました。
中学時代に空手をかじっていたので、格闘系の部活がいいなと思って柔道部に入りました。
しかし、アクシデントが起きたのです。
それはギックリ腰。受身の練習中に激痛で立てなくなりました。
今まで苦もなく歩いていた距離が絶望的に遠い・・・
正直どう帰宅したのかも憶えていません。ただ無我夢中でした。
当時は「怪我は練習で改善する」時代だったので練習をしました。だんだん痛みが強くなりますが、それでも練習を続けていました。今度は痛くなかった左側まで痛くなってきました。
そこでようやくレントゲンを撮ってみると骨折していました。
早急に施術を受ければしっかりと改善することも期待できたのですが手遅れでした。ずれた背骨の周りは繊維が補強しますが、骨はくっつきません。疲れやすく痛みが出やすい。長時間同じ体勢でいると、すぐ出てくる腰痛に悩まされました。
社会人になってからは、プロカメラマンを顧客にするフィルム現像所で働いていました。
そして、社会人に4年目に江東区から足立区へ引っ越しました。
(大人になってからも引っ越しています。)
相変わらず腰痛に悩まされており、この頃はもう、一月に一度はギックリ腰をやっていました。このまま腰痛を繰り返していて大丈夫なのだろうか?そんな不安を抱えていた時、ある広告が目に止まったのです
「腰痛を原因からしっかり改善。痛みを繰り返さない。」
そんな言葉だったと思います。ずいぶん自信たっぷりだなぁ。半信半疑でしたが興味もわいてきました。それが大川カイロプラクティックとの出会いでした。
施術を受けて見ると、筋肉の痛むところを押される。体にこんな痛い場所があったなんて驚きでした。しかし今までとは何か違う。不安感が薄れたような気が。なぜだろう?
その先が知りたくなって次の予約を入れました。
集中施術を受け、教えて頂いた体操をやっているうちに、体に変化が現れました。お尻から脚にかけてスースーした感覚。
今まで感じたことのないほど腰に安心感が出てきました。
腰がタフになった、この安心感は大きいものでした。
「このまま今の仕事を続けていても、もやもやを抱えていくだけだし、先も見えない・・・それならば自分も苦しめられていた腰痛の施術が出来るあの技術を身に付けてみたい。」
そんな想いから大川カイロプラクティック専門学院の門を叩いていました。実技のインストラクターに当時の大川カイロプラクティックセンター逗子整体院院長、田中喜浩先生がいらっしゃいました。
先生に手技を指導して頂く際に、触れられた手の感触に衝撃を受けました。柔らかく優しく包み込む感触。
こんな手になりたい。
その思いを胸に2004年末日を持って会社を退職し、インターンを経て大川カイロプラクティックセンター逗子整体院に就職しました。
当時、直営院の中ではもっとも厳しいと言われていたのが逗子整体院です。
今まで学院直営のリラクゼーションサロンで経験を重ねていたつもりでしたが、レベルがまるで違いました。
軽く疲れを癒してほしい方と、痛みや悩みを抱えた方の真剣度の違い。毎日が真剣勝負です。
心構えからプロフェッショナル・マナー、現場で生きる手技や応用、利用者様の心理、あらゆる事を徹底的に指導して頂きました。
また小学生から80代の高齢な方まで、さまざまな年代の方との多くの出会いも与えて頂き、一所懸命に働いていたところを認めて頂き副院長に抜擢されました。
ここまで信頼して任せて頂けたことに感謝の言葉もございません。また、人に感謝されると言う、以前の仕事では味わえなかった喜び。もう昔感じていた割り切れない思いは消えていました。
2006年7月31日に開業致しました。
おかげさまで、たくさんの方と出会うことが出来ています。
これからも、たくさんの笑顔が見たい。
そんな気持ちを大事にしていきたいと思います。